卒業式というエンターテイメントなセレモニー
3月は卒業式のシーズンですね。
わが家は、長女が中学校卒業。次女が小学校卒業です。
子どもの卒業式っていうのは、『親のためのエンターテイメントなセレモニー』だなと思ったのは、長女の小学校の卒業式のときです。
昨日の中学の卒業式は、『本人たちのためのエンターテイメントなセレモニー』でした。
小学校の卒業式
小学校の卒業式というのは、みなさん自分自身も経験してると思いますが、特徴的なのはあの『呼びかけ』ですね。
わたし自身は練習、めちゃくちゃ嫌でしたね。嫌だけど、マジメにやらないと怒られます。
それは今も変わらないようで、次女は今まさに卒業式前で練習の日々です。
とにかく全員で息を合わせて、同じこと言うなんて、無茶なことをするので、かなり神経張って緊張感保ってないとならなくて疲れてます。
なぜにそこまでさせるのか?と思いますが、これは『親のためのエンターテイメントなセレモニー』だからです。
わたしは学校の役員をやってたときに、自分の子どもがいない卒業式に参列したことがあります。
なかなか自分の子どもが卒業しない、卒業式に参加する機会はないと思います。
自分の子どもが卒業するときは、気持ちが全て子どもに向いてますからよけなことは考えられません。
しかし他人の子しかいない卒業式というのは、客観的に見れます。
そのとき、とてもよくできた親のためのエンターテイメントだなと感心しました。
なぜなら、自分の子どもがいなくても感動するからです。
やらされる方はとても大変ですが、練習を重ねてできるようになる『呼びかけ』や合唱、お辞儀それらすべてに成長を感じます。
長年ずっと小学校が卒業式のスタイルとして、変わらず続けていることの意味がわかりました。
小学校は、親が子どもの成長を感じるための『親のためのエンターテイメントなセレモニー』です。
中学校の卒業式
中学校の卒業式も、もちろん子どもの成長は感じます。
ですが、それは親ためではなく、本人たちのためのものだなと思いました。
小学生にはお辞儀ですら、感動するほどに成長を感じましたが、中学生はそんなのできて当たり前です。
できて当たり前のことには、感動はしません。
合唱だって、うまく歌えて当たり前です。それだけの経験を積んできているのを知っています。
合唱コンクールをみてるので、驚きがないんです。驚きがないと、エンターテイメントとしては弱いです。
でも、それら全てに感動しているのは、親よりも本人たちです。
本人たちは『別れ』というものに涙していますが、そのどこかに、自分たちが立派に成長したことを実感して感動しているんだと思いました。
それを知っているからか、中学校の先生もドラマのような演出をしてくれました。
担任の先生にもよるとは思いますが、ドラマの登場人物の中の一人ひとりになっていて、みんなそれぞれが主人公でした。
中学校の正門を出るところまで、先生たちに見送られ、親たちの花見を通り中学校をあとにしました。
自分たちが選んだ道を、自分の足で歩いていくために、背中を押してくれる『本人たちのためのエンターテイメントなセレモニー』でした。
友達と写真撮るのも、別れをおしんで抱き合うのも、どれもこれも眩しかったです。
とても、青春していて感動しました。
感想。そして…
中学3年生になったばかりの頃は、15歳に自分の道を選ばせるのは、早いな、重いよなって思いました。
もう少し先でもいいじゃないかと、思ってましたが、コレは『かわいい子には旅をさせよ』なんだと思います。
ここまでは義務教育だし、それ以前の幼稚園・保育園は親の都合・親が選んでます。
高校はもちろん親とも相談していますが、自分と向き合って出した答えの学校を選んでます。
自分が積み重ねてきた実績の結果、入れた学校です。
自分で選んでみたけど、やっぱり違うな、これじゃないなど、むしろ失敗するための機会なんじゃないかと思います。
そう思うと、ここから先の親の役目は、サポーターですね。
今までは、監督やコーチの立場に近いものがありましたが、ここからは応援するのみですね。
最高のサポーターは、負けたってなんだって、あきらめず信じて応援します。
頑張っても結果がでなかったときは、同じくらいに悔しがります。
これから高校生になる長女にとって、最高のサポーターになろうと思いました。
それが親と子のちょうどいい距離かもしらないなと思いました。
10日後には、次女が小学校卒業です。
今月は涙をたくさん流すことになりますね。
あぁ、幸せ。
お読みいただき、ありがとうございました。
今週のお題「卒業」