『祝辞』で語られることは、大人こそ忘れてはいけない大切なこと。
今年は、ふたつの卒業式に出席しました。それにより、『卒業』がお題の記事が3つ目になります。
忙しくて忘れてしまう、疎かになってしまうからこそ、《『祝辞』で語られることは、大人こそ忘れてはいけない大切なこと。》だと感じました。
さて、その卒業式に付き物なのが、校長先生をはじめとする方々の『祝辞』です。
大人になってから、その祝辞で語られたことを覚えてる人はいますか?
わたしはまったく、覚えてません。
話しを聞いてるようなフリだけして、長くて飽きたなと思ったり、違うこと考えてたり、生徒のときはそんな感じだった方が多いのではないでしょうか?
わたしはそうでした。
けれど親となり、卒業式に出席して…否、このブログを書くようになって変わったから、その祝辞で語られる言葉がとても心に響いてきました。
もちろんテンプレのオンパレードな言葉が、胸に響いてくることはありません。
行政の方は、たくさんの学校に出席するから同じの使い回しでるんだろうなとわかってしまう粗末なもので残念ですね。
かたや、校長先生やPTA会長はきちんと子ども達に伝えたいことを、自分の言葉にして祝辞を述べてくださいました。
子ども達に届いたかどうかは…。
長女はぜんぜん関係ないこと考えてた。と言ってたので…生徒の側は昔も今も変わらないですね。
当の子どもはさておき、かつて子どもだった親達には届いてます。きっと。
内容は、感謝や笑顔の大切さなど、くり返し言われてることです。
これらは、学生の間はそれこそ耳にタコ状態になるほど聞かされてるんです。だから、飽きてしまう。
けれど、大人になってからはその大事なこと、大切なことを言葉にして語る人に、なかなか出会えません。
ブログの記事などでは見かけても、リアルの世界では、それらは当たり前とされて埋もれてます。
そして、大事で大切だから学生の頃繰り返し聞かされているのに、素直に実行してる人は少なくなってきます。
定年を迎えるような年齢で、どんな立場の人にも「ありがとう」と言える人は少ないと感じます。
逆に、それができる大人はとても素敵で、出会えたことに嬉しくなります。
歳を重ねても、子どもの頃の素直な気持ちのまま「ありがとう」や笑顔を忘れない人は生き生きとして魅力的です。
忙しくて忘れてしまう、疎かになってしまうことが仕方ないことだというのも充分に理解します。
でもだからこそ、こうして子どもの卒業式に出席して、祝辞として語られる、人として大切なことをまた聞けたことがとても有難く感じました。
親は子どもと一緒に成長しながら、自分自身も育ててるんだなと思います。
子育ては、成長する機会がとてもたくさんあっていいものだなと、ふたつの卒業式に出席して思いました。
3月はふたつの卒業式があり、いっぱい泣きました。
その涙は、先生方やほかのお母さん達に対して感謝をおもうと止まらなくなりました。
わたしは、まだまだ幼い部分が多いのに親をしてます。未熟です。
だけど、人は助け合いながら、補いあいながら生きていくものなんだと実感しています。
少しずつでも成長して、だれかに手を差し伸べられるように、その機会に気づけるようにしたいです。
4月からは新しい生活がスタートです。
わたしも今子ども達と同じく新たな気持ちです。
ほかの『卒業』のお題の記事もよかったら、読んでみてくださいね。
お読みいただきありがとうございました。
今週のお題「卒業」