特別なことはしてないけど。家族とゆっくり過ごせた令和元年のG.W
世の中10連休だけど、サービス業に片足を置いてる身なので、お仕事の日もあり、普段と特別変わったことはありません。
G.Wは日帰りで行ける範囲で楽しむのが、わが家流の過ごしかたでしたが、子ども達も前半は部活動がありました。
娘たちふたりが揃って入学だった年で、部活動のことなど予定が立てれない状態だったから、みんなで日帰り旅もできずに終わりました。
2019年2度目の初詣

やっと家族揃って行ったのは、令和元年の初詣です。
今年は…昨年の暮れ参りから合わせると4度目のお参りです。
氏神様まではお散歩しながら向かうのですが、他愛ないことを喋ったり戯れたりしながら行くのはいいものです。
遠くに行かなくても、ゆったりとした時間の使い方ができると心にゆとりが生まれて穏やかになります。
普段は8時前にはみんな出払い、夕方6時過ぎまで寂しい家で、特別な予定は立てず、家族と日常をゆっくり過ごすというのも贅沢な時間で幸せだなと思いました。
今までは年一回の初詣のみでしたが、こうして何度かお参りしてみると、年一回の時よりとても気持ちがいいのです。
できれば月に一回お参りできるようにしたいなと思いました。
ちょっした冒険

車で通りすぎるばかりで立ち寄ったことがない所って、以外とありませんか?
長女は友達との予定もあり充実していましたが、退屈していた次女とすこし足を伸ばして散策してきました。
最寄駅をでたときから空模様が怪しかったのですが、散策の途中カミナリが鳴りだしました。
目的地に到着するまで雨をしのげる場所がありません。雨雲が早いか、私たちが着くのが早いか競争でした。
目的地までの半分を過ぎたあたりで、急に冷えた突風が吹きました。これはヤバい!!
次女とふたりリミットが迫ってることを、わいわい言いながら足を早めます。もう巣に帰ってきた賢いカラスの横を通り過ぎます。
目的地に着くと同時に、雨が本降りになりだしました。

あわてていると直ぐに雹に変わっり更に焦り、久しぶりに走りました。
建物には同じく雨宿りしている方がいました。
こういうハプニングのように降る夕立ちは、ちょっとした散策に彩りを添えてくれて強く記憶に刻まれると思います。
外できくカミナリは迫力があるし、風は冷たくなる中で雨を上がるのを待ちながら、次女は寒さ対策として踊りだし自由です。
わたしも持ってきたオヤツを食べつつ寒さをこらえます。
そんなタイミングで、自宅待機していた旦那さんから迎えに行くよという一報がありました。
ほんと、こういうところ昔から変わらない。
旦那さんが着いた頃には雨は上がりましたが、最後だけでも一緒に景色をみれてよかったなと思いました。

子どもが成長して中学・高校と進んでいくと各々が忙しくなります。それでいいんです。
だからこそ、こうして一緒にゆっくり過ごせる時間が大切で愛おしいです。
長い休み予定を組んで過ごすのもいいですが、特別なことはせず日常の中でゆったりするのも、なかなかいいものです。
お読みいただき、ありがとうございました。
令和の初夢。夢占いをしてみた。
ふだん夢を見ていない。覚えていない人です。
隣で寝ている旦那さんは毎日みてるというので、いつも若干うらやましく思っています。
そんなわたしが、令和元年の初日に夢をみました。覚えていました。
その夢のせいで、夜中嫌な気持ちになり寝が浅くなりました。
起きてからさっそく夢占いのサイトで調べてみました。
日常的に夢をみてる人は、わざわざ占ったりしないと思いますが、わたしにとっては珍しいことなので、ついその意味を知りたくなります。
いろんな占いがあり、よくお世話になってるサイトで夢占いもしてみました。こちらです。
URASOE|運勢・夢占い・星座占い・誕生日占い・九星気学・六星占術・血液型占い・手相・パワーストーン

占いは、好き嫌いあると思います。
わたしはよくわからない事をそのままにしておくのが落ち着かないので、自分の納得できる落とし所を見つけにきます。
当たる当たらないということより、なるほどねって思いたくて占いをみます。
追いかけられる夢
追いかけられる夢はプレッシャーや重圧を受けている、あるいは心理的に追いつめられていることを意味しています。
追いかけられる夢の基本的な意味に書いてある、プレッシャーや重圧に無縁な生活をしている現在、かなり???クエッションマークが浮かびました。
追いかけてくる対象は、非常識と思われる人など不愉快なかたでした。
このサイト内だと、嫌いな人か悪が該当するかと思いました。
嫌いな人
嫌いな人が自分自身の嫌な部分を表している場合、それから逃げたいと言うあなたの願望を暗示しています。
いずれは、正面から受け止める必要があることを教えてくれているのかも知れません。
まさに、前職場を辞めた理由のひとつに嫌いな人がいるからでした。
人間関係のめんどくさいのは、本当に嫌なんです。
いい大人ですから、多少のことはやり過ごします。
でも我慢ならないこと、無理なものは無理なんだなと、1年以上は我慢した結果辞めました。
今は、人間関係の発生の少ない仕事をしているので、今回の夢に現れていますね。
悪から追われる
不道徳な行為や欲望、野心などから逃れたい心理の表れかもしれません。
もう一つの解釈として、常識的に「タブー」と見られていることを破り、新たな可能性を開こうとしている状態にあるのかもしれません。常識は時代によって変化するものです。
わたしは今やりたいことがあり、そのことを最近よく考えているんです。
それがやはり、常識を壊して再構築するようなことなのでそのあたりの影響もあるのかなと思いました。
それに令和という新しい時代の幕開けの日です。今までの常識が変わっていくのは、必至です。
逃げる夢

夢は最終的に、追われながらも逃げてドキドキしながら隠れてやり過ごしたところで、目覚めました。
逃げる夢を見た場合はあなたが逃げている対象から、解放されたい気持ちや自由になりたいという気持ちが夢として現れています。
逃げる夢は、無事に逃げられるかどうかで吉夢や凶夢に分けることができます。
夢の中で、わたしにとって不快な嫌なものから逃げています。
できることなら、わずらわし人間関係から解放されたかったです。
人間関係や嫌だなと思う人、今は逃れられているけど…いずれまた発生するかもしれないということでしょう。
隠れる
ドキドキしながら隠れているので、逃げきれたと言える状態でもありません。
隠れるというのは、誰からも姿が見えないようにするという行動です。
ホッとしたのなら隠していた方が良いということで、あなたが人間関係に疲れている場合は、しばらくは周囲と離れてゆっくりできそうです。
ホッとできていたら良かったのに〜という結果です。
今回の夢だと、見つかるかもしれないとドキドキしてますので、一時的にま逃れているだけということになります。
まとめ
わたしは今のところ、問題からは逃れられる状況にあるので、その間にやりたいことをやっていいと解釈しました。
今逃げていることは、ホロスコープを見てみると人生の課題と一致しています。
いずれ向き合うときが来るのでしょう。
その時がきたら考えるとして、今は今できることをやろうと思います。
夢っておもしろいですね。
いろんな心理が色濃く出ています。
いつも見ていて覚えている人も、たまには占ってみると今抱えている問題が浮き彫りになるかもしれませんよ。
お読みいただきありがとうございました。
平成最後の日に思う。多様な音楽が彩ってくれた
高校の吹奏楽部のスプリングコンサートに行ってきました。
入学式から今日まで、僅かな休みのみで練習漬けの日々を過ごしてました。
長女にとっても、親にとっても、余計な心配をするヒマを与えてくれないほど、日々が過ぎていきました。
その甲斐あって、演奏は素晴らしく楽しいひと時でした。

これからも、こういった機会に恵まれると思うと、早朝のお弁当づくりも続ける励みになります。
次女も中学生になり、仮入部であちこち気になる部を試して最終的に吹奏楽部に入部しました。
長女と先輩・後輩の関係になります。
次女は、いろんな楽器を試した中で本人の希望はバリトンサックスでした。
お酒のCMでさかな君が吹いていた楽器です。
しかし希望叶わず、バスクラリネットに決まりました。
希望通りではなかったことが悔しくて、涙してました。
難しい楽器で、まだ出ない音があることをすでにプレッシャーに感じているようです。
責任感強い負けず嫌いな性格ゆえ、不安になるのでしょう。
しかし涙しながらも、やるからにはキチンと取り組みたいと前向きな発言があることも性格だなぁと思いました。
自分の希望が通らなかった場合、モチベーションが下がりヤル気が失せてしまうことが想像できます。
それが、そのような気持ちはなくあくまでも前向きなことが言えるのが次女の強みで、わたしが尊敬するところです。
わたしも旦那さんもジャンルを問わず音楽が好きです。
特別習い事として音楽のことをしてきたわけではないですが、生活の中にいろんな音楽が流れている家庭だと言えます。
その影響があるのかなと思います。
音楽って、単に生きるため、生命維持に直接必要のないものです。
ですが、音楽が与えてくれているものというのは、計り知れないと思います。
大ヒットした映画『タイタニック』で、船が沈没するパニックになっているとき、演奏を続けていたシーンがあります。
わたしはあのシーンが好きです。
もし自分があの場にいて死ぬかもしれないときに、音楽が聞こえてきたら、それまでの人生を振り返ったときに、どんな人生だったにしろ良かったなって思えると思いました。
生命の維持には直接関与しないけど、彩りを与えてくれる。それが音楽だって思います。
平成最後の日に、素敵な音楽を聴くことができてとても嬉しいです。
平成は音楽も多様化していった時代だなと思います。
わたしは37歳なので、10代は小室ファミリーが流行っていた時代でした。
でも、あの頃の音楽番組は多種多様でとても楽しかったんです。
今はよくも悪くも棲み分けができていて、雑多な感じがないなと感じます。
好きなジャンルばかり聴くのもいいですが、聴くともなしに聞こえてくる音楽のジャンルが多様なのは楽しかったです。
わたしは昭和生まれですが、自意識があるような時代は平成だったわけです。
平成は10代.20代と自分自身の人生も変化が激しいときだったこともあって、それを思い出したときに沢山の音楽があります。
わたしの平成は、音楽が彩りを与えてくれたなぁと、今日の吹奏楽部の演奏を聴いて振り返るのでした。
お読みいただきありがとうございます。
PTA役員はやろうと前向きになればどーってことない。
新学期が始まりましたね。
子ども達も新しい環境にドキドキしたり、不安になったりと色々だと思いますが、
親のみなさんがズゥーンと重たい気持ちになっているのは、PTAなどクラスの役員決めではないですか?
わたしは小学校も中学校もどちらもクラス役員を経験しました。
今時は、子どもの人数も少ないことから、地域の差はあれど必ずどこかでやらなくてはならないものになってます。
さあ今年はどうしますか?
また下を向いて決まるまで待ちますか?
それとも前向きにやります!と挙手しますか?
役員活動は学校によって様々です。
一概に言えないのでしょうが、わたしはやっていて楽しかったです。
くじ引きで子ども会育成会の会長もやりました。なったからには前向きに取り組めばどーってことないです。
高校の役員立候補

過去に楽しいと思えたその経験から、高校の役員にも立候補しました。
なんと、高校の役員は3年間通しなんですよ!まぁビックリ〜。って知ってましたけどね。
立候補した動機はとても不純なものです。
親である人間がこのように言っていいのかわかりませんが、合法的にリアル高校生を垣間見れるからです。
漫画・ドラマや映画など高校時代の青春もの多いですよね。
それだけ人の人生の中で輝いていたり、それぞれの思い出がある時なわけです。
自分のときを思い出しても、いい事もそうでないことも含めて、あの時代が青春だったと思えます。
そんな青春の端っこに関われるなんて最高じゃないですか。
高校は参観日もなく、行って文化祭。それも行かなければ入学式に行った次は卒業式なんてことに…。
それだけ学校を訪れる機会がないのです。
それと、どんな大人(先生)が自分の子どもに関わっているか知っておきたいからです。
とにかく人間観察好きなわたし的には最高です。
育成会の会長になった

子ども会育成会の会長になったときは、会議に参加することもありました。
それすらも未知の世界を知る機会だとおもって楽しみました。
参加して思ったことは、子どもの世界を下支えしている人が多いということです。
PTAなどなくなればいいと思う方も多いようですが、見えないところの支えは重要です。
今まさに咲き誇る桜も、見えない根っこが支えてます。根っこが腐れば…花は咲きません。
一見無駄なこともそうではない事があります。
今までの役員のときもそうでしたが、大抵の方が仕事をかかえながら役員をやります。
必然的に効率よく回すことになります。省けることはやらなくなってます。
時代はかわってます。メールなどのやり取りで済むこともあります。
ネガティブなイメージあると思いますが、よくなってるところも多いです。
まとめ
前向きに楽しむという考えは、どんなことにも通じます。
世の中はどんどん効率的になり、恋愛の出会いの機会すらマッチングアプリなどを使い効率化しています。
そんな流れのなかで、唯一効率的にならない、大人の思い通りに行かないのが子育てだと思います。
子育ては急がば回れです。
それとわたしは、人がやりたがらない事を率先してやるといつか巡ってくる面倒ごとが減ると考えています。
若いうちの苦労は買ってでもしろ。ってやつです。
人生はバランス。年老いてから面倒事が増えるなんてイヤですからね。
今年こそは気持ちよく挙手して拍手喝采されちゃいましょう♪
お読みいただきありがとうございます。
『祝辞』で語られることは、大人こそ忘れてはいけない大切なこと。
今年は、ふたつの卒業式に出席しました。それにより、『卒業』がお題の記事が3つ目になります。
忙しくて忘れてしまう、疎かになってしまうからこそ、《『祝辞』で語られることは、大人こそ忘れてはいけない大切なこと。》だと感じました。

さて、その卒業式に付き物なのが、校長先生をはじめとする方々の『祝辞』です。
大人になってから、その祝辞で語られたことを覚えてる人はいますか?
わたしはまったく、覚えてません。
話しを聞いてるようなフリだけして、長くて飽きたなと思ったり、違うこと考えてたり、生徒のときはそんな感じだった方が多いのではないでしょうか?
わたしはそうでした。
けれど親となり、卒業式に出席して…否、このブログを書くようになって変わったから、その祝辞で語られる言葉がとても心に響いてきました。
もちろんテンプレのオンパレードな言葉が、胸に響いてくることはありません。
行政の方は、たくさんの学校に出席するから同じの使い回しでるんだろうなとわかってしまう粗末なもので残念ですね。
かたや、校長先生やPTA会長はきちんと子ども達に伝えたいことを、自分の言葉にして祝辞を述べてくださいました。
子ども達に届いたかどうかは…。
長女はぜんぜん関係ないこと考えてた。と言ってたので…生徒の側は昔も今も変わらないですね。
当の子どもはさておき、かつて子どもだった親達には届いてます。きっと。
内容は、感謝や笑顔の大切さなど、くり返し言われてることです。
これらは、学生の間はそれこそ耳にタコ状態になるほど聞かされてるんです。だから、飽きてしまう。
けれど、大人になってからはその大事なこと、大切なことを言葉にして語る人に、なかなか出会えません。
ブログの記事などでは見かけても、リアルの世界では、それらは当たり前とされて埋もれてます。
そして、大事で大切だから学生の頃繰り返し聞かされているのに、素直に実行してる人は少なくなってきます。
定年を迎えるような年齢で、どんな立場の人にも「ありがとう」と言える人は少ないと感じます。
逆に、それができる大人はとても素敵で、出会えたことに嬉しくなります。
歳を重ねても、子どもの頃の素直な気持ちのまま「ありがとう」や笑顔を忘れない人は生き生きとして魅力的です。
忙しくて忘れてしまう、疎かになってしまうことが仕方ないことだというのも充分に理解します。
でもだからこそ、こうして子どもの卒業式に出席して、祝辞として語られる、人として大切なことをまた聞けたことがとても有難く感じました。
親は子どもと一緒に成長しながら、自分自身も育ててるんだなと思います。
子育ては、成長する機会がとてもたくさんあっていいものだなと、ふたつの卒業式に出席して思いました。

3月はふたつの卒業式があり、いっぱい泣きました。
その涙は、先生方やほかのお母さん達に対して感謝をおもうと止まらなくなりました。
わたしは、まだまだ幼い部分が多いのに親をしてます。未熟です。
だけど、人は助け合いながら、補いあいながら生きていくものなんだと実感しています。
少しずつでも成長して、だれかに手を差し伸べられるように、その機会に気づけるようにしたいです。
4月からは新しい生活がスタートです。
わたしも今子ども達と同じく新たな気持ちです。
ほかの『卒業』のお題の記事もよかったら、読んでみてくださいね。
お読みいただきありがとうございました。
今週のお題「卒業」